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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

意識の主体の実体は(その一部)



意識の主体の実体は(その一部)


心(意識の主体(魂)と知性体(霊))は物質ではないことは確かである

上において、心は物質ではなく、霊魂的な存在である、という結論はでている

では、心(意識の主体(魂)と知性体(霊))とは実際のところ一体何だろうか

心が物質でなければエネルギーの世界である、ということしかない(物質もエネルギーのひとつのあり方・一形態であるが、物質を氷と水にたとえると、エネルギーは水蒸気といったところだろう)

エネルギーの世界というだけではまだ不完全であり、心はエネルギーの波動の世界である、というありようしかない、といえるだろう

波動というのはエネルギーのもつ情報の世界だといえる

心も情報・心的内容の世界であるからそれは納得がいくし、それ以外のありようはない、と思われる

さてそこで、脳の中でそういった波動性の高いものとしては電子と中間子その他があるが、それらは、それらが数多く集まって一体性・全体性を形作るということはない(ただし、電子についていえば、ふたつの電子が特定の関係をもてば、それらがどんなに離れていても時間ゼロで特定の情報を交換できる、という不思議な性質を現すが)

電子やその他がたったひとつで意識の主体か知性体になる、ということがあるのなら、脳の中にはとてつもない数の電子やその他があるので、収拾がつかないというか、そんなことはありえない、ということになる

意識の主体と知性体はそれぞれが一体性・全体性を形作っている

よって、脳という物質の組織が「意識の主体」と「知性体」を形作っているということはない

つまり、「意識の主体」と「知性体」は物質でできておらず、いわゆる霊魂とよばれる未知の存在である、ということになる

ここにも、霊魂とよばれる存在がある、という論拠がある

さて、「意識の主体」と「知性体」つまり霊魂のようなもの、は波動性が非常に高い存在であり(この世界で波動性最高の存在だろう)、脳とは関係ない(脳に宿っている存在)、ということがわかった

それはどういった存在だろうか

ここから、「意識の主体」と「知性体」つまり霊魂のようなもの、を「霊魂のような存在」とよぶことにしよう

「霊魂のような存在」は波動性が非常に高いということがわかった(この世界で最も波動性が高いのだろう)

それはなんらかの構成要素たちから組み上げられているのだろうか

それとも構成要素たちから成っているのではなく、たんにひとつの存在なのだろうか

後者だとすると、それ以上の追求・研究はできない
そういう存在がこの世界に現にあって、意識や心を生じるのである、ということに尽きる(ただし、その性質や特性その他の研究はできる)

前者であるとすると、「霊魂のような存在」は物質の究極の構成要素から成っているのか、とか、それをこの世界の物理法則(すでに発見され記述されたもの)から理解できるのか、という問題提起ができる(それに答えられそうなのは、現在のところ超ひも(超弦)理論か量子力学しかないと思われる)

もちろん、前者にせよ後者にせよ最終的には、「霊魂のような存在」が意識や心をもつのはなぜか、という問いには答えられないのははっきりしている
それは、なぜ物質やエネルギーは存在するのか、なぜそれらはそれぞれの性質や働きを現すのか、なぜ物質の組織はさまざまな性質・機能を生じるのか、なぜそれらが組織されると肉体までできるのか、などといった問いに答えられないのと同じである


ではここでまず、現在の物理学の最先端、超ひも(超弦)理論的に、そのあり方の可能性を考えてみよう

「霊魂のような存在」は、超ひも(超弦)理論が提起した最小構成要素たちから成り、まとめ上げておく力によってそれらが一体性を形作り、そこに全体性も生まれ、それらの最小構成要素たちのさまざまな振動モードたちがさまざまに発揮され、それが、意識と心的内容の実体であり、あるいは知性体と知性の実体である

それとも;
その最小構成要素がさらにもっと小さい構成要素から成っており、以下同上


今度は、超ひも(超弦)理論的ではなく量子力学的に;
直近上の構成要素たちとは関係のない超微細な構成要素から成っていて、それら構成要素たちがすべて量子力学的に空間に広がってはいるが、まとめ上げておく力によってそれらが一体性を形作り、そこに全体性も生まれ、それがさまざまな無限の波動パターン変化を現し、それが、意識の主体、意識と心的内容の実体であり、あるいは知性体、知性と知性内容の実体である

以上の3つは、可能性を述べただけ、考えられることを記しただけです。


ところで、人によって意識の主体と知性体はすべて異なっているけれど、それは何が異なるのだろうか(ここは実に不思議です。対称になっていない)

考えられることとして;

1)構成要素たちの数がすこし異なる

2)構成要素たちの数は同じであるが、構成要素たちにいくつかの種類があって、それらの比や振動数が(少し)異なる

3)構成要素たちの数も構成要素たちの種類の比も(少し)異なる(あるいは加えることの、振動数の違い)

4)すべて同じであり完全に同じものである

ここはほんとに不思議です
イメージ思考でいくと、2)、4)、3)、1)、の順で可能性が高いと感じます

しかし、やはり不思議で納得がいきません

とすると、先に述べた、構成要素たちから成っているのではなく、たんにひとつの存在なのかもしれません
いや、それでも不思議です

しかしともかく、意識の主体と知性体は存在し、それらは霊魂のような存在でありそうだという強力な論拠がたくさん挙げられてきたわけです
意識の主体と知性体は人によって異なっている、ということはいうまでもありません

再掲すると、
最終的には、「霊魂のような存在」が意識や心をもつのはなぜか、という問いには答えられないのははっきりしています
それは、なぜ物質やエネルギーは存在するのか、なぜそれらはそれぞれの性質や働きを現すのか、なぜ物質の組織はさまざまな性質・機能を生じるのか、なぜそれらが組織されると肉体までできるのか、などといった問いに答えられないのと同じですからね



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